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「生きる」を学ぶ無人島ツアー

momoレンジャーゴリです。

 

お盆休みを利用して、2泊3日の無人島ツアーに参加してきました。

 

黄昏の夕陽。何もない無人島で、何に気づき、何を感じたのか??

 

 

◆無人島ツアーに参加したきっかけ

 

ー「生きる」ってどういうことなんだろう?を知りたかった。

 

 日常生活の喧騒。時間だったり仕事だったり、人それぞれ何かに追われながら生活しています。以前勤めていた会社では、忙しい毎日に追われ、食事や睡眠、自己の時間を削ってまで働くこともありました。

 人それぞれ思うこと感じることはあると思うけど、そんな毎日を私は「生きている」とは思えませんでした。

 

 一方、便利になっていくと同時に複雑になっていると感じる社会。何か気持ちが追い付いていない感覚。今も昔も「生きる」という行為は変わらないはずなのに、生きづらさや生きている実感がないのはなぜだろう?

 

 なら、いったん何もないシンプルな生活をして「生きる」って何なのか自分なりに感じてみよう!そこからまた考えればよい!

 

ということでこの度の無人島ツアーに参加することになりました。

 

◆無人島でやったこと

 

ー拠点確保

 

 まずはじめに、みんなでテントを張りました。寝床がなければ安心して寝ることができません。安全に生活する拠点を確保することは生きるために必要不可欠であることをあらためて実感しました。動物的にいえば、縄張り確保なのかな?

 

 

ー食料調達

 

 無人島生活では原則、自分たちで獲ったものが食料となります。獲れなければ当然食べられません。普段の生活では近くにあるコンビニもありません。生命の危機に関わります。この日は海にいる魚を獲りました。当然魚も生きるために必死で逃げるため、獲るためには魚の生態などの知識やうまく捕まえるための技術がないと時間がかかります。普段店頭に並んでいる魚の切り身のありがたみを実感しました。

 

獲った魚。写真のように毒があって食べられない魚もいるので、注意して捕獲します。

 

 

ー調理

 

 獲った魚を美味しく食べるために調理します。さすがに無人島にあるものだけで調理することは困難であるため、必要最低限の調理器具、調味料、調理用の真水、米等の使用は許されました。笑

 調理方法は素揚げや煮付けなど、シンプルな方法で行いました。火加減も直火だと沸騰するまで時間がかかったり、逆に火が強すぎるから鍋の位置や炉を調整し直したりということもあり、普段の調理環境がいかに充実しているか、身をもって痛感しました…。

 

ゴリ特製「魚の煮付け」。魚の煮汁が身に染みる…煮汁もあますことなく雑炊にして食べました。

班のメンバー。一緒にテント張って、魚獲って、ご飯作りました!

 

◆無人島生活という非日常を通して感じたこと

 

ー今ある日常は「あたり前」ではなく「ありがたい」ことの積み重ねであることを実感

 

 無人島という何もない場所に身を投じたからこそ、普段「あたり前」に感じていたものが「ありがたい」ものだと実感しました。

 

 蛇口をひねれば出てくる真水、誰かが育て、調理・加工してくれた肉・魚・野菜をはじめとした食料、扉を開けば冷たい飲み物が取り出せる冷蔵庫、遠くまですぐに移動できる自動車・鉄道・飛行機、誰かといつでもどこでも通信できるスマートフォン…(挙げるときりがない)

 誰かが「あたり前」にしてくれているこの現実を「ありがたい」と感じながら利用・活用することが日々の日常に小さな感動を与えてくれるのではないかと感じました。

 

ー人とのつながりの大切さを実感(一人では生きていけない)

 

 仮に無人島に一人で行ったとしたら、できないことはたくさんあったんだろうなと感じました。テント張りも一人だと時間かかるし、道具の移動も場所によっては手伝ってもらってようやく運べるところもあるし、何より人間という生き物は「感情」「知能」をもつので、思ったことを吐き出さないと気持ちがよどんでいく!

 けれど、みんながいることで一体感・共同体感覚・安心感を感じて楽しい時間を過ごすことできたし、できないと思ったこともみんなが一緒にいればできる!と前向きに考えられるようになりました。

 

ーすべて自分次第。小さな感動が日常にスパイスを与える

 

 無人島から帰ってきて感じたことは、今まで気づかなかった日常にも探してみると小さな気づきがあることでした。誰かがかけてくれる声も、結局のところ自分のためを思って言ってくれた言葉だったり、自分が起こした行動に対して真面目にリアクションしてくれる仕事仲間だったり、ただ、なんとなく一緒にいてくれる友達だったり。

 

 周りの世界は変わっていないけど、自分の感じ方が変わったことで、見える世界が変わった気がしました。すべては自分の感じ方・考え方・行動次第。要は自分次第。食べる・寝るなどの生理的欲求に加え、こうした小さな気づき・感動が日常にスパイスを与え、「生きる」実感につながるのかな、と思いました。